電子達磨のあゆみ

その黎明

『電子達摩』は、1991年から副所長として就任した、スイス人研究者のウルス・アップ教授が世界に向けて発信した情報誌(通訊)の名前である。アップ教授は各種禅録の電子テキストを公開(2000年~)、『Zen Base CD 1』(ウルス・アップ編、CD-ROM、1995年)の出版、『臨済録一字索引』(1993年)を嚆矢とし、『無門関一字索引』(1994年)や『禅関策進一字索引』(1996年)などの各種索引を出版、1997年にはその集大成となる『一字索引叢書 総合索引』を刊行した。

2005年から副所長として就任した芳澤勝弘教授は、それまでに手掛けた無著道忠禅師の注釈シリーズを中心とした『基本典籍叢刊』(財団法人禅文化研究所刊)の索引シリーズを再編し、これをウェブ上で利用するための検索ツールを構築し、これに「禅学綜合資料庫 電子達磨#2 Digital Bohdhidharuma General Archives for Zen Research」と命名したのである(このとき、表記を「達摩」から「達磨」に改めた)。

禅学総合資料庫 電子達磨#2infolibについて

「禅学総合資料庫 電子達磨#2infolib」は、禅録・漢詩の読解に役立つ抄物類の検索システムとして構築された。キーワードで検索すれば、写本・版本の該当ページにリンクする、いわばWeb版禅学大辞典(メタ・ディクショナリ)である。

 

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いわゆる禅学と称する分野で扱われる文献は、そのほとんどが漢文である。これらを解読してゆくには通常の漢語辞典だけではおよそ間に合わないのである。禅学に関する辞書類も整備されつつあるとはいえ、まだまだ完備というにはほど遠い状態である。登山家が未踏峰の山に挑むときには、みずからルートを開きつつ、岩場の隙間にナッツ(鉄杭)を打ち込んで、これにロープを結わえて、これをたよりにして登攀してゆくのだが、それと同じような作業が求められるのである。

では、禅学の分野では先人の開発してくれたルート、つまり後学者のためになるような工具書(ツール)がまったくないのかといえば、決してそういうわけではない。室町時代以降、禅は日本文化の形成に大きな影響を与えて来たのであり、禅学はいわばメジャーな学問領域であったといえる。しかも漢文は日本人にとっての唯一の外国語でもあった。多くの先人たちが輝かしい、すぐれた精華を残してくれているのである。いわゆる「抄物」を含めた注解書である。

それらの中には、版本として刊行されたものもあるが、すべてが公刊されているというわけではない。多くは写本として伝わっているのだが、人知れず埋もれているものも少なくないのである。そして、印刷が容易ではなかった時代に於いては、写本は人々に写されることによって広まっていったのであるが、この「写しの文化」はかならず「烏焉馬」の誤謬を含む。つまり写し間違いである。こうしてできたいくつかの写本のうち、長い歴史のなかで消滅を免れて今日まで残っているものも少なくないのである。

写本は多くの場合、数が希少である。中にはたった一種類した存在しないような「天下の孤本」も多い。そして、当然のことながら写本は人の手によって書かれたものであり、中には判読しがたい草書まじりのものもある。現代人が読みかつ利用するには、これまた大きな困難がともなう。そもそも、貴重な写本を閲覧する機会を得ること自体が一大困難である。

このような、禅学における困難を解決する一助として、2005年に花園大学国際禅学研究所で考案されたのが、「禅学総合資料庫 電子達磨#2infolib」である。

主として、寺院に秘蔵されてきた貴重な歴史的遺産を、ご許可をいただいて、まずはデジタル画像にする。同時に、複製本を作成する。写本には「天下の孤本」が多いので、複製本を作成することは大いに意味があるのである。ついで、当該文献に含まれる基本テキストを作成する。そして、このテキスト・データと画像データをリンクするのであるが、これにはInfocom社(http://www.infocom.co.jp/index.html)のデジタル・アーカイブ・システムInfoLib (https://service.infocom.co.jp/das/product/infolib/index.html)を採用した。公文書、古文書、貴重書、研究成果、学術情報などのデジタルコンテンツをインターネット上で広く公開するためのデジタル・アーカイブ・ソリューションである。

このデジタル・アーカイブ「電子達磨」は、いわば、印刷文化史におけるもっとも原初的な形態である写本と、デジタルによる情報処理というもっとも先端的な要素を結合したものでもある。

「電子達磨#2infolib」が公開されるや、禅学をはじめ、国文学・国語学・漢文学・日本史学などで活用され、学術機関のみならず国内外の一般層にも幅広く利用されてきた。搭載したコンテンツも随時増加してきた。

〔※〕上記「電子達磨」の特徴とその意義については、Webマガジン「AMeet」への寄稿記事においてその趣旨説明がなされている(https://www.ameet.jp/digital-archives/448/)。以上の内容は、この記事に加筆したものに基づいている。

新ヴァージョン「電子達磨#3 禅語漢語考釈支援システム」について

しかし、2022年6月、「電子達磨」をはじめとして広範囲で利用されてきたInternet Explorerのサポートが停止されることとなった。このことは、「電子達磨」が採用していたビューアが機能しなくなることを意味し、ことによると「電子達磨」そのものが閲覧不能になることが想定された。これを却って好機と捉え、ヴァージョン・アップしたのが「電子達磨#3 禅語漢語考釈支援システム」である。

有益な辞書はあまたある。しかし、完璧な辞書というものはあり得ない。こと禅学のような限られた領域では、この分野での研究所産は必ずしも豊かではない。この「電子達磨」は最新の成果と古くからある抄物類とを通貫して検索し、禅語の意味を検討し考釈するための支援システムである。具体例として、徳川時代の学僧・無著道忠が撰述した禅学叢書については、現在の水準から言っても該博な知識に基づく詳細な研究で成されているが、「電子達磨」はこれを多く提供している。また、禅語の辞書類、公案の注釈書というべき『禅林句集』(『句双紙』)、『臨済録』『碧巌録』の抄物類、禅門で重んじられてきた漢詩文に関する注釈書類、日本臨済宗中興の祖・白隠禅師の禅籍類など、禅学研究に不可欠な文献とそこに収録された術語が一括で検索できる。しかも曖昧検索機能となっているため、新旧字体を問わないで検索できるという大きな特徴も高く評価されてきた。現在もなお上記の資料に関連したものが新たに見出されており、今後も国内外において貴重な禅学資料を増強する計画である。

この度のシステム再構築にあたり、IIIF (International Image Interoperability Framework)システムを活用して、データベース間の相互検索可能性の向上を図っている。このIIIFの相互運用性にあるメリットは、ひとつのソフトウェアを作るだけで、世界中のIIIF公開サイトのデータが同じ方法で使える点にあり、国際的な規模で複数のサイトを横断してテーマごとに画像を集めるような閲覧方法が実現できるものといえる。

IIIFは、画像へのアクセスを標準化し相互運用性を確保するための国際的なコミュニティ活動である。2018年5月には、国会図書館デジタルコレクションがIIIFに対応したことで34万点のIIIF対応デジタルコンテンツが出現することとなり、Webサイト間での画像の自由な横断的操作が可能になった。このIIIFに対応する機関とコンテンツが増えれば増えるほどサービスの質が向上するものであり、東大、京大、慶應大、国文学研究資料館等も相前後して対応した。現在は多くの大学図書館がIIIFシステムに対応しており、これによって画像データは公開する大学ならびに研究機関の間で相互運用することが可能になるものである。

実際、現在はIIIFに対応したオープンデータベースがいくつも生まれており、IIIFを活用したデータベースに他のデータベースを利用するユーザも集まっていき、国際レベルでの相互利用によって各データベースの利用者が一層増加していくような好循環が生まれつつある。「電子達磨」もこの相互利用を活かすよう計画している。

活用され得る関連分野について

現在、IIIFシステムなどでデジタル化した古典籍の画像データが関連分野で広く活用され、仏教学ではSAT(大蔵経テキストデータベース)が活用されている。「電子達磨」も同様のシステムの導入で、国内外で展開する以下の諸分野に資するデータベースとなり得る。

◆禅学ないし仏教の研究者

禅籍や漢詩類の抄物類を公開するものであることから、まずは仏教研究者に活用されるものと考えられる。とくに、『臨済録』や『碧巌録』などは難解をもって知られるが、こうした重要ながら難解な禅籍を解釈するうえで大いに参考になる注釈書を収録する「電子達磨」は、これまでもきわめて重宝がられてきた。今後も、こうした動向に大いに資するものといえる。

◆国語学の研究者

禅学以外でいちはやく抄物類に学術的価値を見出したのは、じつは抄物にある書込みそのものを室町時代語や徳川時代語の重要な日本語資料として扱う国語学の研究者であった。これに加えて、抄物類にある訓読そのものに国語学的価値を見出す研究も多く、今後の活用が引き続き期待される。

◆国文学・漢文学の研究者

更には、中世から近世における国文学の研究者にも利用され得るものである。殊に、五山文学(中世禅林で発展した漢詩文)の注釈も豊富に収録する「電子達磨」は、国内ばかりか海外の日本文学研究者にも重宝されている。また、この五山文学の薫陶を受けている(五山から還俗した)朱子学者である藤原惺窩や林羅山についても、その思想と背景を知るために活用すべき資料が多く収録されているため、大いに役立てられ得る。

◆日本史(中世史ないし近世史)の研究者

また、中世史ないし近世史を研究対象とする日本史研究者にも、資するところはきわめて大きい。禅文化などをはじめとした文化史研究では抄物類は活用されてきており、今後も室町時代から徳川時代にかけての禅文化とその知的背景を探る有効な資料となり得る。

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 上記の分野に関連する他分野においても、更なる活用が期待される。「電子達磨#3」を活用される諸氏におかれては、是非とも多くの御要望やリクエストを御願いしたい。この電子データベースを、研究や探究を志向する多くの方がたに育てて頂きたく考えている。