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諸橋大漢和辞典 |
漢語大詞典 |
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禅語辞典類(『禅学大辞典』『禅語辞典』『禅語字彙』『織田仏教大辞典』) |
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詩語解
しごげ 刊記 : 宝暦13年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 大典顕常 |
『詩語解』は、儒者の宇野明霞(宇士新、1698-1745)の遺稿を基にして、大典顕常(1719-1801)の編纂した辞書である。漢詩文を読み解くうえでおさえるべき熟語や助詞の語法を収録している。古来より伝わる辞書類の釈義を多く引用し、なかには本書独自の解釈もみえる。 大典顕常は古文辞派の流れを汲む詩僧で、相国寺第113世。字は梅荘、別号蕉中、東湖など。伊藤若冲(1716-1800)の支援者となり、売茶翁(1675-1763)との交流でも知られる。多くの文人墨客と積極的に交わり、池大雅(1723-1776)や六如慈周(1734-1801)などと深く親交をもった。 |
文語解
ぶんごかい 刊記 : 明和9年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 大典顕常 |
『文語解』は、儒者の宇野明霞(宇士新、1698-1745)の遺稿を基にして、大典顕常(1719-1801)の編纂した辞書である。漢文を読み解くうえでおさえるべき熟語や助詞の語法を収録している。古来より伝わる辞書類の釈義を多く引用し、なかには本書独自の解釈もみえる。大典の序文によれば、『文語解』は宇野の『語辞觧(ごじかい)』を再編したものであり、大典は「学者旧来ノ倭読に泥テ義意ニクラキコト多シ、士新ノ訳法アニ千古ノ発明ナラズヤ」と評価している。 大典顕常は古文辞派の流れを汲む詩僧で、相国寺第113世。字は梅荘、別号蕉中、東湖など。伊藤若冲(1716-1800)の支援者となり、売茶翁(1675-1763)との交流でも知られる。多くの文人墨客と積極的に交わり、池大雅(1723-1776)や六如慈周(1734-1801)などと深く親交をもった。 |
葛原詩話
かつげんしわ 刊記 : 天明7年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 六如慈周 |
『葛原詩話』は、六如慈周(1734-1801)が漢詩の材料となるべき語句を抄出し、そのひとつひとつの出典を調べて付記した二十数巻のうち、友人の端隆が取捨選択して己の旧聞を加えて四巻に再編したものである。書名は、六如が東山の眞葛原に隱棲したことに由来する。 六如慈周は天台宗の詩僧で、別号は白楼・無着庵など。江戸に出て宮瀬龍門に漢詩文を学び、陸放翁(陸游、1125-1210)を模範として宋詩を鼓吹し、詩風革新の先駆をなした。
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葛原詩話糾謬
かつげんしわきゅうびゅう |
『葛原詩話』の記述に関する糾謬(誤りを調べただすこと)をまとめたもので、津阪孝綽(東陽、1757 -1825)の著作。 本書が池田四郎次郎編『日本詩話叢書』(文会堂書店、1920)に収められた際、解題に以下のようにある――「此書は、亡友齋藤次郎(拙堂翁の嫡孫)君の藏本を借りて謄寫せしものにして、原本は葛原詩話の版本の欄外に細楷もて書き入れあり、思ふに拙堂翁が津阪氏より借りて書手に筆記せしめられしものならん、その書き入れは、第二卷の終りに止まりたり、第二卷の坪の條に、「第四卷ノ標記ニ見ハル」とあるに据れば、第四卷即ち詩話の正篇全部に渉りて糾謬を作られしことは明なり、余は後の二卷を得んとして、往年よう種々手を盡せども、終に得る能はず、勢人馬場龜久生君を煩はし、有造館書目及び津阪氏著書目録を檢するに、并に糾謬を載せず、是れ其の稿本は既に散逸し、纔に齋藤氏の家に保存せられしものなり、故に後の二卷を得んとするは、河清を待つに均し、故に現存二卷のみを茲に上梓すること丶せり、此の書はもと標記と名づけたることは、上に引きたる語にて明なり、糾謬と名づけたるは、夜航餘話に見えたり、餘話に又た糾謬數條を擧げたり、語句頗同じからず、且つ後篇に及べり.葛原詩話ノ著者六如其人は學問該博を以て自ら許したるも、津阪氏は「六如は學殖菲薄にして頗る粗淺の誤あり」と言へり、今此書は一々六如の誤謬を指摘し、例を引いて之を證せり」。 |
データベース名 | 説明 |
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禪林象器箋
ぜんりんしょうきせん 刊記 : 寛保元年 所蔵 : 龍華院 撰者 : 無著道忠撰 |
全20巻、目録1巻。 禅林の規矩・行事・機構・器物などのついて、その起源・意義など、その縁由、意義を詳述したもの。一種の禅学大事典である。 寛保元年(1741)3月1日から校譌をはじめ、毎日20紙ずつ、5月26日に終える。時に89歳。 |
虚堂録犂耕
きどうろくりこう 刊記 : 亨保14年 所蔵 : 龍華院 撰者 : 無著道忠撰 |
全30巻、目録2巻。 『虚堂録』10巻に対して、注釈を加えたもの。『虚堂録』は、宋の虚堂智愚の語録で、古来、「文字禅」の最高峰とされているが、また難解を以て知られる。応・灯・関の源流にあたる祖録であるため、わが国の禅林では特別な意味をも持っている。古来の虚堂録抄を縦覧し、これを批判し整理し、あらたな見解を付した無著の注釈は、『五家正宗賛助桀』とともに、禅録解読のためには欠くべからざる霧海の南針である。 無著道忠が享保12年(1727)3月1日から執筆を始め、同14年8月28日に成った。時に77歳。 |
五家正宗賛助桀
ごけしょうしゅうさんじょけつ 刊記 : 寛保元年 所蔵 : 龍華院 撰者 : 無著道忠撰 |
全20巻、目録1巻。 南宋の希叟紹曇『五家正宗賛』4巻に対して、注釈を加えたもの。他に附録1巻があり、緒餘・未決・闕解などを収録する。『五家正宗賛』は、初祖菩提達磨大師より雲峯真覚禅師までの12人の高僧ならびに臨済宗・曹洞宗・雲門宗・潙仰宗・法眼宗の五家各派の祖師、計74人の略伝を叙述し、さらに四六文の賛頌を付し、その宗風を明らかにしたものである。日本でも室町以来、禅林で広く読まれ、詩文を作成する際の拠り所となり、注釈書も作成された。本書は、先人の解釈を批判的に継承し、新たに独自の見解を示した『五家正宗賛』注釈の決定版である。無著畢生の大作『虚堂録犁耕』とともに、無著解釈学の双璧であり、禅録解読には不可欠である。 宝永2年(1705)10月に、紀州吹上寺の大梅和尚の弟子東首座から『五家正宗賛』を解説するように請われたのを機に、宝永3年(1706)8月1日から執筆が開始され、翌宝永4年(1707)9月7日に『五家正宗賛助桀』20巻の初稿が完成した。これと平行して、無著は、同年9月2日から『五家正宗賛』の講義を始め、同年11月20日に講了している。また享保11年(1707)5月1日から翌12年正月10日にかけて、一旦旧稿を清書し、その後、寛保元年(1741)6月1日より校閲を開始する。毎日20紙ずつ、同年8月11日に終える。時に89歳。 |
葛藤語箋
かっとうごせん 刊記 : 寛保4年 所蔵 : 春光院 撰者 : 無著道忠撰 |
全10巻。 本書は、禅録・史伝の中から、俗語・故実・禅語などの語彙を選び出し、1言から8言に分類し、更に、宗乗・師接・学修・人倫・名姓・心肢・性慧・愚滞・動作・乖戻・歌曲・言詮・数目・実辞・虚詞・天象・時年・地載・方処・生植・器具・金宝・衣帛・食餌・禽畜の25項に分ったものである。各語に対して、まず出典を明示し、さらには用例の異同を示す。また従来の解釈に対しても、実証的に批判・考証を加えた上で、詳細な解釈を施す。禅録解釈に不可欠の禅語辞典であり、該博な知識を駆使した無著畢生の撰述書である。 元文4年(1739)道忠87歳の時に脱稿し、寛保4年(1744)に浄書を終え、序文を付す。時に92歳。この歳に無著は示寂。 |
大慧普覚禅師書栲栳珠
だいえふかくぜんじしょこうろうじゅ 所蔵 : 龍華院 撰者 : 無著道忠撰 |
『大慧普覚禅師書栲栳珠』(以下『栲栳珠』)は、無著道忠が、宋の大慧宗杲『大慧普覚禅師書』(以下『大慧書』)に対して、『大慧書抄』等の古解を批判的に継承した上で、新たに独自の見解を施した『大慧書』注釈の決定版である。この注釈は、書簡や禅録の解釈にも有用である。『大慧書』とは、公案禅を大成した大慧宗杲が、居士等から寄せられた書簡に対して、禅の要諦を説き示した書簡62通のことをいい、弟子の慧然や黄文昌が収集し、乾道2年(1166)に開版された。その後、日本・朝鮮でも数度にわたって刊行され、禅林で広く読まれたものである。 無著は、延宝4年(1676)に、活堂禅師の『大慧書』の提唱を聴き、衆僧の要請で、活堂禅師の提唱を改めて講じてやった。延宝8年(1680)には、雑華院の春首座のために『大慧書』を講じ、そして元禄7年(1694)、衆僧に対して『大慧書』を講じている。『栲栳珠』は、当初『大慧書解』の名であり、無著が、正徳2年(1712)4月から筆を援り、翌年2月に一旦完成する。この時に『栲栳珠』と改題。同年(1713)4月、再び『大慧書』を講じ、評唱の後に、新たに典故の検出できたものを増箋。享保7年(1722)8月に、再び点検質正を始め、翌年5月に終了。その間並行して、享保7年9月から、毎月六度『大慧書』を講じた。拝聴を許可された者は、わずか六人。翌年(1723)5月、提唱を終了。その際に『栲栳珠』の体裁も、従前の10巻から15巻に改められる。時に71歳。なお『栲栳珠』緒余からは、享保14年(1729)77歳までの補訂の跡がうかがえる。無著が、五十年以上にわたり、心血を注いだ労作の一つである。 |
江湖風月集解
ごうこふうげつしゅうげ 所蔵 : 龍華院 撰者 : 無著道忠撰 |
『江湖風月集解』(内題『江湖集訓解』)。無著道忠撰。全2巻。 本書は、南宋元初の禅僧の詩偈選集『江湖風月集』2巻の注釈である。『江湖風月集』は禅林で広く愛読され、注釈書も多数あり、宗門七部書の一つとされる。上巻は、南宋の松坡宗憩(無準師範の嗣)編と考えられ、計33人、134首を収録する。下巻は、後代の人物の手に成り、41人、130首を収録する。他に別本増入分の5人、6首がある。総計79人、270首。その成書過程は詳しくはわからない。『江湖風月集解』は、無著遷化後、妙心寺衡梅院の可山禅悦により、龍華院で発見された未完の稿本である。後に、可山禅悦は、これまでの注釈書の集大成とも言うべき『江湖風月集訓解添足』を著わすが、無著道忠の『江湖風月集解』をほぼ忠実に引用した上で、資料と見解を補い再編集したものである。 検索結果画面の詩偈本文の次に「禅文化版 p.○○○」とあるのは、芳澤勝弘編注『江湖風月集訳注』(禅文化研究所、2003年)のページ数である。 |
敕修百丈淸規左觽
ちょくしゅうひゃくじょうしんぎさけい 所蔵 : 龍華院 撰者 : 無著道忠撰 |
全20巻、目録1巻。 『勅修百丈清規』8巻に対して、註釈を加えたもの。『勅修百丈清規』は元の順帝の勅によって東陽徳煇が編集し、笑隠大訢が校正したもっとも完備された禅宗清規であり、唐の百丈の「古清規」の精神に本づきつつ、後代の『禅苑清規』その他を総合し、新たに制定し直したものである。 元禄12年(1699)10月に、『勅修百丈清規』の講義を請われたのを機に、同年10月1日から執筆が開始され、翌元禄13年(1970)1月9日に『勅修百丈清規』の註釈が終わる。写し取った枚数は実に1400帳であった。同年1月17日より『勅修百丈清規』の講義を始め、同年4月2日に講了している。また正徳6年(1716)までの17年間において欠けている箇所を補い誤りを訂正し、更に再校補筆し享保3年(1718)に完成する。時に66歳。無著解釈学を代表する著作である. |
風流袋
ふうりゅうぶくろ 刊記 : 寛保4年 所蔵 : 鹿苑寺(金閣寺) 撰者 : 無著道忠撰 |
無著道忠による仏教・禅語辞書。 書名の「風流袋」は、『五燈会元』巻二十、「雲居頑庵徳昇禅師章禅師」章の「十字街頭窮乞兒、腰間挂箇風流袋」とあるのによる。そして命名の由来は、細川幽斎の『耳底記』に出る室町時代の連歌師・宗砌(?-1455)の語による。「乞食は人からもらった物、拾った物をことごとく袋に入れる。そして後になって、袋から出して、捨てるべきものは捨て、食えるものは食う。学者もこのようにすべきである」と。書名に表わされるように、本書が収録するところは実に広範であり、禅学、仏教学の範疇にとどまらず、外典、民俗、伝承など無着道忠が見聞した一切合切が含まれている、一大百科事典でもある。 残念ながら、無着道忠の直筆本は残っておらず、天龍寺湛元の筆跡と思われる写本のみが伝わる。序に寛保肆年仲秋の年記が有る。 |
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句双葛藤鈔
くぞうかっとうしょう 刊記 : 元禄5年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 柳田文庫 |
内題:宗門葛藤集。1字から20字の禅語にカナ注を付したもの。室町時代から江戸初期の禅録の解釈に有効である。 |
柳枝軒版『禅林集句』
りゅうしけんばん『ぜんりんしゅうく』 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 |
内題:句双紙尋覓。版心:禅林雑句・禅林集句の名が混在。 禅語の学習や禅句の尋覓(検索)のため、東陽英朝によって編集されたと言われる一言から八言対に至る禅語集。本書は、己十子が禅句を増補し、さらに典拠および私註を付したものである。室町・江戸期の禅録の解釈にも役立つ。 なお、本画像には未収録だが、裏表紙見開きに「柳枝軒、小川多左衛門」の刊記がある。 |
無刊記本『句双紙尋覓』
むかんきぼん『くぞうしじんみゃく』 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 柳田文庫 |
柳枝軒版『禅林集句』の解題を参照。 柳枝軒版『禅林集句』と同じ。ただし一八五丁末尾の一行を欠くなどのわずかの異同がある。 無刊記。 |
點鐵集
てんてつしゅう 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 柳田文庫 撰者 : 逆翁宗順 |
逆翁宗順(1433-1488)編。全25巻。 序文は天隠龍澤(1422-1500)。本書には、約100種もの諸書より古人の語句を集め、それらを上平一東の韻から下平十五咸に分類している。総数でおよそ39,500句を収録したもっとも浩瀚な「禅林句集」であり、また韻書、辞書も兼ねており、室町中期より江戸期を通じ、主に漢詩の創作の際に用いられた。 |
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大燈国師百二十則
だいとうこくしひゃくにじゅっそく 所蔵 : 正伝永源院 撰者 : 清庵宗胃(正宗禅師) |
大燈国師(1282-1337)の用いた公案が、門下法孫によって継承され、清庵宗胃(1483-1562)に百二十則書き留められたもの。その約150年後、徳川初期に出た瑞堂紹繍(大徳寺二百十二世、正受庵七世)によって、これが清庵の筆によるものと証せられた。現代の臨済宗で公案参究の際に参照される『宗門葛藤集』は、その作成過程を遡ると『大燈百二十則』に至るものとも考えられる。 この百二十則は大燈禅の根幹を成していたと思われ、門下の徹翁義亨(1295-1369)を経て大徳寺に伝わり、また関山慧玄(1277-1360)を経て妙心寺にも同内容で伝わったと考えられる。詳細は荻須純道「大燈禅の独自性―大燈国師百二十則を中心として―」(『禅学研究』第50号)などを参照されたい。 清庵はもと「宗意」と称したがのちに「宗胃」に改め、「唖羊子」または「一畝子」とも号した。小渓宗怤(大徳寺八十六世)の法嗣で、天文六年(1537)に大徳寺に奉勅入寺して九十三世となる。また、大徳寺塔頭の正受院を天文年間(1532~1555)に開創した。正親天皇からは広徳正宗禅師と勅諡されている。 |
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臨濟慧照禪師語録疏瀹
りんざいえしょうぜんじごろくそやく 刊記 : 享保11年 所蔵 : 春光院 撰者 : 無著道忠撰 |
妙心寺の学僧、無著道忠(1653-1745)による注釈。 享保11年(1726)正月16日に清書をはじめ、同年3月19日に終えたもの。無着74歳のときである。 書名にある「疏瀹(ソヤク)」は、開滌に同じで、ひらき洗うという義。『荘子』知北遊に「孔子、老聃に曰く、今日晏閑たり、敢えて至道を問う。老聃曰く、汝斎戒して、心を而(なんじ)の心を疏瀹し、而の精神を澡雪し、而の知を掊撃せよ。夫れ道は窅然として言い難きかな。将に汝が為に其の崖略を言わんとす」とあるのに拠る。
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臨濟録鈔
りんざいろくしょう 刊記 : 寛永7年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 柳田文庫 |
寛永7年(1630)刊本。 |
臨濟録萬安抄
りんざいろくばんなんしょう 刊記 : 寛永9年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 柳田文庫 撰者 : 万安英種撰 |
万安英種(1591ー1654)撰。寛永9年(1632)刊本。 |
臨濟録夾山鈔
りんざいろくかっさんしょう 刊記 : 承応3年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 柳田文庫 |
承応3年(1654)刊本。 |
臨濟録密参請益録
りんさいいろくみつさんしんえきろく 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 柳田文庫 撰者 : 古帆周信撰 |
古帆周信(1570-1641)撰。写本。 |
臨濟録撮要鈔
りんざいろくさつようしょう 刊記 : 元禄4年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 柳田文庫 撰者 : 鉄崖道空撰 |
鉄崖道空(1626-1702)撰。元禄4年(1691)刊本。 |
臨濟録摘葉抄
りんざいろくてきようしょう 刊記 : 元禄11年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 柳田文庫 撰者 : 耕雲子撰 |
耕雲子撰。元禄11年(1698)刊本。 |
臨済録玄銀抄
りんざいろくげんぎんしょう 所蔵 : 正伝永源院 |
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臨濟録贅辯
りんざいろくぜいべん 刊記 : 大正14年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 柳田文庫 撰者 : 岡田自適撰 |
岡田自適撰。大正14年(1925)刊本。 |
臨済録一宙鈔
りんざいろくいっちゅうしょう 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 |
データベース名 | 説明 |
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碧巖録種電鈔
へきがんろくしゅでんしょう 刊記 : 元文4年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 大智実統撰 |
大智実統撰。『不二抄』と双璧をなす『碧巌録』の注釈書。元文4年(1739)刊本。 |
碧巖録萬安抄
へきがんろくばんなんしょう 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 万安英種 |
万安英種(1591-1654)による『碧巌録』の抄物で、『臨済録』の抄物とともに版本が多く流布している。 万安英種は江戸生れの曹洞僧で、肥後大慈寺の大焉広椿に印可された。慶安二年(1649)に山城淀城主の永井尚政の後援を得て、宇治興聖寺を再建した。鈴木正三などとも交流し、古風の復古を標榜して門下に対する祖録などの講義記録が抄物として多く残されている。 |
碧巌録秘抄
へきがんろくひしょう 刊記 : 大正5年 所蔵 : 国立国会図書館 |
この版本は、成功雑誌社から大正五年に刊行された『白隠禅師提唱 碧巌集秘抄』である。その緒言によれば、 一、この『秘抄』は、「白隠禅師の侍者、多年法筵に陪して其獅子吼を耳にし、之を筆録」したもので、「侍者歿後、信州の人清渓道人、某蔵書家に請うて之を筆写」したもので、それを翻刻したのがこの書籍であるという。 二、また、「第一則の垂示及び本則初頭の数語、並に第十六則乃至第二十則の六則は惜しいかな、禅師の提唱欠缺して伝はらず。依て第十六則以下の則には、碧巌鈔を転載して之を填補した」という。 三、原文は半和半漢、字体は蝿頭の行草、加之、欄外に縦横の記入ありて頗る看易からず。是を以て……或は句点を附し、或は送り仮名を加へ……初学の閲読に便ならしめたり」。 原本(写本)をA本、大正五年版版本をB本としたとき、A本とB本を比較してみれば、 一、A本は比奈居士が筆写したもので、墨で書かれたものはすべて白隠禅師の提唱であることがわかる。 一、B本では第十六則~第二十則部分が欠落しているが、A本では第一則~第六十則がある。もともとは全百則すべてがそろっていたのかも知れない。 一、おおむねA本の書き入れのほうが豊かである。B本の書き入れは、ほぼA本においても見られる。 以上から判断するに、A本は白隠禅師の『碧巌録』提唱を直接に聴いた人物が、その提唱の内容を整理して書き入れた最初のもので、提州禅恕(1720~1778、自性寺第十二世住職)に保管されたものと思われる。このA本の写しは白隠下にいくつかあっただろうことが想像されるが、B本はそのような写しのひとつであろう。 |
自性寺本『碧巌録秘鈔』
じしょうじぼん『へきがんろくひしょう』 所蔵 : 自性寺 |
この写本は、自性寺(大分県中津市)に伝わる『碧巌集秘抄』である。大正五年に刊行された『白隠禅師提唱 碧巌集秘抄』の緒言によれば、 一、この『秘抄』は、「白隠禅師の侍者、多年法筵に陪して其獅子吼を耳にし、之を筆録」したもので、「侍者歿後、信州の人清渓道人、某蔵書家に請うて之を筆写」したもので、それを翻刻したのがこの書籍であるという。 二、また、「第一則の垂示及び本則初頭の数語、並に第十六則乃至第二十則の六則は惜しいかな、禅師の提唱欠缺して伝はらず。依て第十六則以下の則には、碧巌鈔を転載して之を填補した」という。 三、原文は半和半漢、字体は蝿頭の行草、加之、欄外に縦横の記入ありて頗る看易からず。是を以て……或は句点を附し、或は送り仮名を加へ……初学の閲読に便ならしめたり」。 原本(写本)をA本、大正五年版版本をB本としたとき、A本とB本を比較してみれば、 一、A本は比奈居士が筆写したもので、墨で書かれたものはすべて白隠禅師の提唱であることがわかる。 一、B本では第十六則~第二十則部分が欠落しているが、A本では第一則~第六十則がある。もともとは全百則すべてがそろっていたのかも知れない。 一、おおむねA本の書き入れのほうが豊かである。B本の書き入れは、ほぼA本においても見られる。 以上から判断するに、A本は白隠禅師の『碧巌録』提唱を直接に聴いた人物が、その提唱の内容を整理して書き入れた最初のもので、提州禅恕(1720~1778、自性寺第十二世住職)に保管されたものと思われる。このA本の写しは白隠下にいくつかあっただろうことが想像されるが、B本はそのような写しのひとつであろう。 |
碧巌録耳林抄
へきがんろくじりんしょう 刊記 : 明治23年 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 風外本高 |
この版本は鴻盟社から明治二三年に刊行されたものである。この『耳林抄』は、風外本高(1779-1847)が門下に行った『碧巌録』の講義を弟子が編集したもので、写本も残されている。明治期になって刊行された版本が流布するようになった。 風外本高は曹洞宗の禅僧で、俗名を東泰二といい、伊勢国渡会穂原村押渕(いまの三重県南伊勢町)の生まれ。但馬国龍満寺の玄樓奥龍の法嗣となり、宇治興聖寺にも随行した。34歳のときに出雲国徳林寺の開山となり、次いで40歳のときに摂津国圓通院の開山となり、54歳のときに三河国香積寺第二十五世となった。著作に風外の言行録である『烏鵲楼高閑録』、仏教・神道・儒教みっつの教えについて問答する形式で語られた『三方鼎足談』などがある。また、池大雅に私淑して絵画をよくしたことでも知られる。 |
碧巌録新鈔
へきがんろくしんしょう 刊記 : 元禄2年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 高雲祖稜 |
本書は本文を省いて語句注のみを掲載する形式を取り、釈義を豊かに収録している。元禄年間には、萬安英種など曹洞宗の学僧による『碧巌録』抄が刊行されているが、本書もそのひとつといえる。 高雲祖稜(1636-1696)は曹洞宗の禅僧で、山城国興聖寺の梅峰竺信から法を嗣いだ。のち越前国永厳寺や河内国安養寺などの住持となった。 |
碧巌集古鈔
へきがんしょうこしょう |
版本として近世に流通していたもので、抄物としては少なからず読者を得ていたと考えられる。冒頭に「本朝の大応・大燈・徹翁の秘鈔、改版せしむ」とあり、大徳寺系で伝わる釈義が書き込まれているといえる。 |
碧巌集景聰臆断
へきがんしゅうけいそうおくだん 刊記 : 元禄2年 所蔵 : 清泰寺 撰者 : 景聡興勗 |
室町末・戦国期、美濃の禅僧・景聰興勗(1508-1592)による『碧巌録』の注釈書。 景聡は東海派祖・悟溪宗頓の嗣、玉浦宗珉の法を嗣ぐ。美濃に法幢を掲げた景聰は、諸録の注釈書を撰したが、『虚堂録景聰臆断』など、それらには「臆断」の名が付けられた。 跋文によれば、元禄2年(1689)の陰暦2月の如意珠日(吉日)、大主和尚によって書写されたもの。清泰寺蔵・写本。 |
正伝永源院本『碧巌百則并批判』
しょうでんえいげんいんぼん『へきがんひゃくそくならびにひはん』 刊記 : 貞享四年(1687) 所蔵 : 正伝永源院 |
『碧巌録』に収録された公案百則に関する釈義を収録した抄物で、奥付には「貞享四丁卯七月九日」とあり、徳川期初期の写本である。冒頭に百則の目次が掲載されたあとに、春浦宗凞(1409-1496、大徳寺四十世)から実伝宗真(1434-1507、大徳寺五十六世)に与えた印可状の書写と、実伝から東渓宗牧(1455-1517、大徳寺七十二世)に与えた印可状の書写が掲載されている。春浦は、一休の兄弟子である養叟宗頤(1376-1458)の法嗣である。こうしたことを踏まえると、この抄物には、一休と同時代というべき室町期以来、大徳寺系に伝わっていた内容が記されていると考えられる。 題にある「批判」は、各則の語義ならびに内容に関するコメントということである。このなかで「平に云く」と記されたものがあるが、「平」は和語(仮名)によるコメントの意であり、当時の提唱に基づいた書き込みと思われる。 花園大学図書館にも写本があり、或る程度の数が宗門内で流通していたと見受けられる。 |
碧巌録大講座
へきがんろくだいこうざ 刊記 : 昭和十四年(1939)刊 所蔵 : 国際禅学研究所 撰者 : 加藤咄堂 |
『碧巌録大講座』(昭和十四年[1939]、平凡社刊)は、仏教学者の加藤咄堂(1870-1949)による全十五巻の注釈書である。その『碧巌録』全百則に関する講述は、伝統的な禅籍解釈に基づいたものと考えられる。雄弁学で知られる咄堂の特質があらわれており、今なお裨益するところは少なくない。 また、本書の付録として『無門関』『般若心経』『参同契』『証道歌』『普勧坐禅儀』『寶鏡三昧』なども収め、略説を掲載している。 咄堂は、1881年に処女作『大聖釈迦』を自費出版したのを皮切りに、『仏教概論』『日本仏教史』などを立て続けに出版した。のち曹洞宗大学(いまの駒澤大学)、東洋大学、日本大学などで教鞭をふるうとともに、教化の方法として弁論・演説について研究を重ねた。 |
データベース名 | 説明 |
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無門関春夕抄
むもんかんしゅんせきしょう 刊記 : 慶安元年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 |
本書はカナ交じり文で注釈を加えたものであり、臨済宗寺院などでは広く用いられたようである。撰者不詳ではあるが、何度も刊行されている。寛永元年(1624)に刊行されたものが現存最古となるが、この版の奥付に「洛陽重刊」とあることから、初版はさらに遡るものと考えられる。 本書は第四十一則「達磨安心」と第四十二則「女子出定」との順序が逆になっているが、これは『春夕鈔』にのみみられるものである。 |
国禅研本『鼇頭無門関』
こくぜんけんぼん『ごうとうむもんかん』 刊記 : 寛文6年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 弥衍宗紹 |
「鼇頭」は書物の本文の上の空欄、或いはそこに書きつけた注釈のことを指し、「頭注」「頭書」ともいう。本書は語彙・人名・地名等々を漢文体で多く注釈しており、刊行以来、版本は広く流布したものと推測される。 |
大勝寺本『鼇頭無門関』
だいしょうじぼん『ごうとうむもんかん』 刊記 : 寛文6年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 弥衍宗紹 |
国禅研本『鼇頭無門関』と同じ版本であるが、語句の訂正を施すなどした朱筆に異なりがある。所蔵元は、臨済宗妙心寺派の大勝寺(いまの岐阜県大垣市)と考えられる。 |
正伝永源院本『無門関』
しょうでんえいげんいんぼん『むもんかん』 所蔵 : 正伝永源院 |
本書は正伝永源院に遺されていた写本で、目次には「四十八則之内△二十則也。餘ハ有碧巌集」とあり、△を付した20の公案は収録し、それ以外の28の公案は『碧巌録』と重複しているので割愛した旨を記している。分量は少ないものの、類書のみられぬ貴重なものと考えられる。 |
禅宗無門関
ぜんしゅうむもんかん 刊記 : 寛文9年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 無門慧開 |
『無門関』に訓点を施したもので、徳川期に流布した『無門関』の版本として標準的な形態と思われるもの。第四十九則まで収める。 |
データベース名 | 説明 |
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田原本『四部録』
たはらほん『しぶろく』 刊記 : 寛永8年頃 所蔵 : 国立国会図書館 |
『四部録』(信心銘・証道歌・十牛図・坐禅儀)の注釈書で、出版者は田原仁左衛門。『信心銘』の末に寛永八年(1631)時心堂の刊記があるが、『坐禅儀』の末にも「二条鶴屋町田原仁左衛門新刊」の刊記があるため、寛永八年版の後刷りである。 |
四部録萬安抄
しぶろくばんなんしょう 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 萬安英種 |
江戸期の曹洞僧である萬安英種(1591-1654)による『四部録』(信心銘・証道歌・十牛図・坐禅儀)の注釈書。版面の上部に本文、下部に二行割で注を付す。注はダゾ、ジャゾ式の所謂抄物の口調である。この国会図書館本は無刊記だが、版式から江戸初期の刊とみられる。他にも版本はみられるものの、いずれも十牛図に挿絵はない。 |
南北朝時代刊『五味禅』
なんぼくちょうじだいかん『ごみぜん』 刊記 : 南北朝期 所蔵 : 国立国会図書館 |
『五味禅』は、『信心銘』(隋・釋僧璨、3丁)『證道歌』(唐・永嘉玄覺、7丁)『住鼎州梁山廓庵和尚十牛圖」(宋・廓庵師遠、11丁)『坐禅儀』(宋・釋宗頤、3丁)『入衆日用』(宋・無量宗壽、14丁)の五種を日本で合わせたものをいう。本書は京都・鎌倉の五山を中心に読まれた「五山版」と称されるもの。本書の成立年月は明確でないが、国会図書館デジタルコレクションの解題によれば、南北朝期にできたもの(後に室町前期に後修が施されて押印されたもの)という。 |
室町時代刊『五味禅』
むろまちじだいかん『ごみぜん』 刊記 : 室町初期 所蔵 : 国立国会図書館 |
『五味禅』とは、『信心銘』『証道歌』『十牛図』『坐禅儀』『入衆日用』の禅籍五種を日本でまとめ、鎌倉時代以降に刊行流布したものとみられ、編者も確かではない。版画を主とした『十牛図』は南宋の廓庵師遠撰で、版本における初期の挿絵として知られる。 本版は、数種ある五山版『五味禅』のうちの一つで、室町初期の刊行と見られている。かなりの補刻が行われているが、現存唯一の伝本。 |
冠註一鹹味
かんちゅういっかんみ 刊記 : 明治19年 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 木宮恵満 |
『坐禅儀』『十牛図』『信心銘』『証道歌』の注釈書で、近代に成立した『四部録』の一種といえるもの。冠注(本文の上に注釈を施したもの)の版本である。冒頭に、宇和島藩第七代藩主の伊達宗紀(春山、1792-1889)と山岡鉄舟(1836-1888)の序文を収録する。
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データベース名 | 説明 |
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久保本『唐詩選講釈』
くぼぼん『とうしせんこうしゃく』 刊記 : 文化10年(大正2年再刊) 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 千葉芸閣(玄之) |
久保天随(得二、1875-1934)が『唐詩選』の読み解くうえで参考になる書として大正期に再刊したものが、千葉芸閣(玄之、1727-1792)の『唐詩選講釈』である。久保によれば、千葉の講釈には「二三の誤謬僻見なきに非ざれども、所説簡切、よく要旨を摘むを以て、姑らく之を采る」という。もとの書式では典故を註して鼇頭(頭注)に掲げ、句間には詩意のみを解説していたというが、この再刊に際して不便なものは久保によって再編されたという。 千葉芸閣は儒者で、秋山玉山に学び、下総古河藩主の土井利里に仕えたが、中傷をうけて辞し、江戸の駒込に塾を開いた。通称は茂右衛門。著作に『詩学小成』『標箋孔子家語』などがある。 久保天随は漢学者で、漢籍の評釈や漢詩の訳注・解説を数多く残し、台北帝国大学教授などを務めた。 |
久保本『三体詩素隠抄』
くぼぼん『さんたいしそいんしょう』 刊記 : 江戸初期(大正2年再刊) 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 雪心素隠(説心慈宣) |
久保天随(得二、1875-1934)が『三体詩』の読み解くうえで参考になる書として大正期に再刊したものが、雪心素隠(?-1626)の『三体詩素隠抄』である。これは、中世以来の禅林文学における『三体詩』の釈義を集成したもので、広く重用されたものである。 雪心素隠は説心慈宣という名でも知られ、妙心寺第九五世。清見寺(いまの静岡県静岡市清水区)の住持も務めた。 久保天随は漢学者で、漢籍の評釈や漢詩の訳注・解説を数多く残し、台北帝国大学教授などを務めた。 |
三体詩由的抄
さんたいしゆてきしょう 刊記 : 元禄13年(1700) 所蔵 : 花園大学図書館 撰者 : 宇都宮由的(遯菴) |
宇都宮由的(遯菴;1633ー1709)によるカナの注釈。由的抄は、五山以降の偈頌理解のために必須の好資料。 |
三体詩暁風集
さんたいしぎょうふうしゅう 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 万里集九 |
『三体詩』(『三体唐詩』『唐賢三体詩法』とも)は、宋の周弼の撰に成る漢詩集で、淳祐十年(1250)の成立。七言絶句・五言律詩・七言律詩という三体の詩を収録し、その総数は四九四首に及ぶ。唐代中晩期の作品が中心で、虚(叙情)と実(叙景)に分類。日本では室町期に翻刻されて以来、広く流布した。とくに五山文学には『三体詩』を参照した作品が多くみられ、『三体詩』が五山文学においてひとつの教科書というべき位置にあったことが見受けられる。 室町から江戸初期にかけては、この『三体詩』の注釈書が日本国内で多くのこされることとなったが、五山文学の代表的な詩僧というべき万里集九(1428-?)が編んだ『暁風集』もそのひとつである。 |
諸家集註唐詩三體家法
しょかしっちゅうとうしさんたいかほう 刊記 : 至大二年(1309) 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 裴庾/圓至 |
『三体詩』の注釈書で、元代の裴庾(字は季昌)による注釈を主とし、同じく元代の圓至(号は天隠)の注釈を追加したものである。 収録したものは国会図書館本で、室町中期の書写と推定されている。 |
データベース名 | 説明 |
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大日本佛敎全書版『翰林五鳳集』
だいにっぽんぶっきょうぜんしょばん『かんりんごほうしゅう』 撰者 : 大日本佛敎全書 |
後水尾天皇が以心崇伝等、数十名に命じて、代表的な五山詩を蒐集し書写させた、五山詩アンソロジーである。テーマ別に編集されているので、五山詩研究のための格好のものである。以心崇伝が序を、剛外令柔が跋を書き、虎関師錬・義堂周信・策彦周良・天隠龍澤・横川景三など、代表的な五山僧の詩偈が集められている。全六十四巻であり、内容により春・試筆・夏・秋・冬・招寄分・雑和韻・和韻・送行・雑乾坤門・雑人倫・雑気形門・雑生植・雑食器・雑器財 畫圖・扇面・本朝名区・本朝人名・道号・支那人名・孝純・戀・錯雑・旅泊・感懐・祝讃の二十七にわける。 検索結果画面の「大日本佛教全書p.○○○」とあるのは、仏書刊行会編『大日本仏教全書』第一四四冊、第一四五冊、第一四六冊(名著普及会、1983年)のページ数である。 |
高木文庫本『翰林五鳳集』
たかぎぶんこばん『かんりんごほうしゅう』 所蔵 : 国立国会図書館 |
高木文庫本『翰林五鳳集』。全六十四巻のうち一巻から十二巻と十八巻から二十巻のみ。 画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」より転載。
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データベース名 | 説明 |
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狂雲集
きょううんしゅう 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 一休宗純 |
一休宗純(1394-1481)の漢詩文集。その内容は古則に対する拈古を初め、號・賛・当時の禅寺における出来事・事件への風刺に至るまで多岐にわたる。 付記した番号は、芳澤勝弘『一休宗純『狂雲集』再考』(2023年、春秋社)のものである。 |
錦繍段抄
きんしゅうだんしょう 刊記 : 康正2年(1456)成/文明15年(1483)刊 所蔵 : 花園大学図書館 撰者 : 天隠龍澤 |
『錦繍段』は、唐・宋・元の諸名家の詩328首を、天文・地理などの部門別に集めたアンソロジー。本書は室町禅林での作詩のための基本書となり、五山詩にはここに出る詩をふまえた作が多く見られる。 宇都宮由的(遯菴)のカナ抄はもっとも懇切で、五山詩解読のためにはなはだ有効な参考書である。万治4年版の『新刊錦繍段抄』。 |
中華若木詩抄
ちゅうかじゃくぼくししょう 刊記 : 寛永10年(1633) 所蔵 : 花園大学図書館 撰者 : 月舟寿桂 |
中国と五山僧の詩を交互に配した詩集。これに月舟寿桂(?-1533)がカナで注釈をしたもの。 詩題の次にある[ ]内の数字は、岩波書店『新日本古典文学大系』本の整理番号をあらわす。 |
『古文眞寶』 笑雲抄
『こぶんしんぽう』しょううんしょう 所蔵 : 博文館 撰者 : 久保天随 |
『古文真宝』は、漢から宋までの古詩文を収集し分類した書で、宋末元初の編集と考えられている。前集には詩、後集には文章を収めた名詩名文集で、初学者必須の書である。 日本には室町時代始めに伝来し、五山僧の必読書となり注釈書もつくられた。本書のうち『古文真宝前集』の注は、臨済宗聖一派の笑雲清三(生没年不詳。1492-1520ころの人)の『古文真宝抄』を注に収めたものである。『古文真宝後集』の注は、笑雲清三が先輩の高僧の注釈を集めたものであり、「松云」は桂林徳昌(大覚派)、「湖云」は湖月信鏡(?-1534)、「一云」は、真如寺の一元、「梅云」は万里集九(1428-?)、「三云」は笑雲清三の注である。
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寛永版 黄山谷詩集
かんえいばん こうさんこくししゅう 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 |
黄山谷(庭堅、1045~1105)は、宋代の詩人においては蘇東坡・陸游と並び称され、書家としては蘇東坡・米芾・蔡襄とともに宋の四大家に数えられる。「詩書画三絶」と讃えられ、師の蘇東坡と名声を等しくして「蘇黄」と呼ばれた。その作品は日本中世禅林文学で重視され、多くの影響を与えた。 |
帳中香
ちょうちゅうこう 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 萬里集九 |
萬里集九(1428-?)による黄庭堅(黄山谷)の詩の注釈書。 「帳中香」とは、中国の江南地方で獲れる風味豊かな梨の果汁を原材料とした香のこと。黄庭堅の詩に「江南の帳中香を恵む者有り。戯れに六言を答う・二首(有恵江南帳中香者。戲答六言・二首)」を初め、「帳中香」を主題とした詩が数首あり、それを取って題名としたと考えられる。 国立国会図書館蔵・写本。画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」より転載。 |
天下白
てんかはく 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 萬里集九 |
萬里集九(1428-?)による蘇東坡(蘇軾)詩集への注釈書。 万里の手になる『梅花無尽蔵』にはその序が載せられており、その名の由来を知ることが出来る。それによると、当時、種々有る蘇東坡詩集の注釈の中で、江西龍派・大岳周崇・瑞渓周鳳によって撰された書が特に優れているとされていた。その三書を熟読した万里が、それらの遺漏をさらに埋めるべく詩集の注を編纂することとなる。ある日、机に寄りかかって居眠りをしていると、夢に蘇東坡を彷彿とさせる柳の冠を被った白髪の老人が現れ、空中を指さし、「天より下る白いものを知っているか」と尋ねてきた。万里はその夢により、自らの注釈書を『天下白』と名づけたという。 画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」より転載。
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四河入海
しがにっかい 刊記 : 天文三年(1534) 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 笑雲清三 |
笑雲清三(しょううん・せいさん)の編纂による抄物。瑞渓周鳳(ずいけい・しゅうほう)の『脞説』、大岳周崇(たいがく・しゅうすう)の『翰苑遺芳』、一韓智翃(いっかん・ちこう)の『蕉雨余滴』、万里集九(ばんり・しゅうく)の『天下白』の四書における説を集約して、笑雲の自説を加えたものである。五山文学の一大成果といえる。 笑雲清三は、戦国時代の臨済僧で、伊勢の人。伊勢・無量寿寺の厳伯通噩(げんぱく・つうがく)に師事し、京都・東福寺の大慈庵主となる。のち鎌倉建長寺の住持となった。 画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」より転載。 |
寒山詩
かんざんし 刊記 : 寛永10年 所蔵 : 正傳永源院 |
天台山に隠れ棲む寒山、拾得、豊干の詩集。「三隠集」ともいう。唐末五代にその一部が知られ、宋代に入ってほぼ現形となる。その詩の流行とともに、三隠の伝説もまたしだいに発展した。『大平広記』五十五、『宋高僧伝』十九、『景徳伝燈録』二十七等の寒山伝はその初期に属し、淳熙十六年(1189)に志南がまとめた「天台山国清寺三隠集記」や、閭丘胤撰する「寒山詩集序」はその後期の姿を示す。この詩集の成立は、それらの伝説と切り離せない。 ここに収録した版本は、寛永十年(1633)中野市右衛門刊行のもの。 |
寒山詩索頥
かんざんしさくい 刊記 : 文化12年(1815) 所蔵 : 正伝永源院 撰者 : 大鼎宗允 |
本書は、連山交易撰『寒山詩管解』とともに日本で広く読まれた注釈本のひとつ。これら注釈本の刊行状況からは、『寒山詩』がいかに中世以来の日本人に愛誦されていたかを物語るものといえる。 撰者の大鼎宗允(だいてい・そういん、1775-1832)は大徳寺四三九世・孤篷庵第八世で、茶人として知られた松江藩七代藩主の松平不昧(1751-1818)と親しく交流した。 |
冷齋夜話
れいさいやわ 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 覚範慧洪 |
作者の覚範慧洪(1071-1128)の在世当時である北宋に活躍した詩人・文人の逸話や彼らの作品に対する評論を集めたもの。特に五山の文学へ大きく影響した。
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増注聯珠詩格
ぞうちゅうれんじゅしかく 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 |
宋の于済・元の蔡正孫が詩作の法則によって唐宋の名詩を集めた漢詩集を『聯珠詩格』と言い、それに注釈を付けた和刻本が本書である。二十巻。発刊年次は不明、京都・富小路三条上ルの皇都書林弘簡堂、須磨勘兵衛刊。 |
淵明集
えんめいしゅう 刊記 : 明治27年 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 近藤元粋 |
陶潜(淵明、365-427)は、中国東晉の詩人。29歳で仕官したがすぐに辞し、以後召されても官に就かなかった。41歳のとき再び仕官したが数か月で辞して帰郷し、「帰去来辞」を作った話は有名。叙景詩にすぐれ、日本でも古来から愛好される(『日本国語大辞典』)。 ここに収録した近藤元粋編『陶淵明集』(青木嵩山堂、1897年)8巻は、陶淵明の作品を集成したものとして使いやすく、語句注も有益である。 |
石門文字禅
せきもんもじぜん 刊記 : 万暦25年(1579)/寛文4年(1664) 所蔵 : 正伝永源院 撰者 : 覚範慧洪 |
覚範慧洪の詩文・語録集。30巻からなり、門人の覚慈が編纂による。達観の序が付され、万暦25年(1579)に刊行された。本テキストは、寛文4年(1664)、京都二条通鶴屋町・田原仁左衛門発刊の和刻本で、正伝永源院蔵の版本。 |
濟北集
さいほくしゅう 所蔵 : 正伝永源院 撰者 : 虎関師錬 |
虎関師錬(1278-1346)の詩文集。 |
雪叟詩集
せっそうししゅう 所蔵 : 太平寺 撰者 : 雪叟紹立 |
『雪叟詩集』は、太平寺(現・愛知県豊橋市)に住した雪叟紹立およびその周辺の禅僧の詩文集である。 その内容は、室町時代後期から安土桃山時代にわたる、主として妙心寺派の僧による詩、法語、古則に対する著語、文、書簡などであり、写本の筆跡は一筆ではなく、数人の手で書かれたものである。そこに見えるのは、きわめて高度なテクニックを駆使した詩作であり、まさに「五山文学」そのものである。『雪叟詩集』は、この時代の妙心寺僧がどのような文芸活動を行っていたかを知るための好資料である。 |
蒙求抄
もうぎゅうしょう 刊記 : 寛永15年(1637) 所蔵 : 国立国会図書館 撰者 : 清原宣賢/林宗二 |
儒学者・国学者の清原宣賢(1475-1550)によって行われた『蒙求』の講説を書きとめたもので、大永3年(1523)、享祿2年(1529)の講説の聞書が後にまとめられた。一部は林宗二による編で、寛永十五年に整版本として刊行された。諸家の注を参照してやさしく解釈し、片仮名交じり文で書き下してある。 |
データベース名 | 説明 |
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さし藻草卷之一
さしもぐさまきのいち 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 白隠慧鶴 |
白隠慧鶴自筆刻本。 |
さし藻草卷之二
さしもぐさまきのに 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 白隠慧鶴 |
白隠慧鶴自筆刻本。 |
さし藻草御垣守
さしもぐさみかきもり 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 白隠慧鶴 |
白隠慧鶴自筆刻本。 |
遠羅天釜卷之一
おらでがままきのいち 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 白隠慧鶴 |
白隠慧鶴自筆刻本。 |
遠羅天釜卷之中
おらでがままきのちゅう 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 白隠慧鶴 |
白隠慧鶴自筆刻本。 |
遠羅天釜卷之下
おらでがままきのげ 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 白隠慧鶴 |
白隠慧鶴自筆刻本。 |
夜船閑話
やせんかんな 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 白隠慧鶴 |
白隠慧鶴自筆刻本。 |
夜船閑話卷之下
やせんかんなまきのげ 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 白隠慧鶴 |
白隠慧鶴自筆刻本。 |
假名葎
かなむぐら 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 |
白隠慧鶴自筆刻本。 |
荊叢毒蘂
けいそうどくずい 所蔵 : 花園大学図書館 撰者 : 白隠慧鶴 |
題名は「イバラの藪に咲いた毒の花」の意。白隠禅師(1686-1769)の漢文語録であり、なかには林羅山(1583-1657)の仏教批判に対する猛然たる反論も含むなど、白隠禅師の面目を知らしめる大著である。 |
データベース名 | 説明 |
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祖庭事苑
そていじえん 刊記 : 紹興24年(1154)重刊 所蔵 : 花園大学図書館 撰者 : 睦庵善卿 |
宋・睦庵善卿撰。紹興24年(1154)重刊。21種の禅録から選んだ禅語を集め、その本拠などを記したもので、最古の禅語辞典とされる。底本は正保4年刊の花園大学図書館蔵本。 |
禪林疏語
ぜんりんしょご 刊記 : 寛文12年(1672)重刊 所蔵 : 花園大学図書館 撰者 : 永覚元賢 |
全1巻。永覚元賢(1578-1657)が、書記に充てられた時に作成した疏文を集成したもの。疏は、通常、四六文で、禅林日用文書に用いられる。寛文12年(1672)重刊本を影印した貝葉書院本。 |
禪林疏語考證
ぜんりんしょごこうしょう 刊記 : 延宝9年(1681)刊 所蔵 : 花園大学図書館 撰者 : 超然道果 |
全4巻。永覚元賢撰『禅林疏語』中の語句について、超然道果が典拠意味などの注釈を加えたもの。疏の製作には、機縁や古典に関する知識が不可欠なため、こうした注釈書が必要とされた。 |
諸録俗語解
しょろくぞくごかい 所蔵 : 大蔵院 撰者 : 桂洲道倫・湛堂令椿・大蔵院主 |
『諸録俗語解』は、『禅関策進』『博山警語』『大慧書』『圜悟心要』『碧巌録』といった宗門の基本書に出る難解な俗語を集め、これを考証しその解を付したものである。 写本がいくつかあるが、今回、用いたものは大蔵院本であり、最も最初の写本と考えられる。大蔵院本は、布施袋の裏面に速筆で書かれているが、筆跡は天龍寺本・法常寺本とおなじものである。また項目数は天龍寺僧堂本、法常寺本よりも少ないが、天龍寺僧堂本、法常寺本には記されていない項目や記述も見られる。第2冊から始まり第5冊まであるが、第1冊があったわけではない。また別冊『参攷類語』乾・坤と『俗語解』上・下がある。 該当項目の次に【】で示した数字は、翻刻された禅文化研究所『諸録俗語解』の項目番号である。
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燕南記譚
えんなんきたん 所蔵 : 寒山寺 撰者 : 天嶺性空 |
松島瑞巌寺の一〇五世・天嶺性空(1669-1740)の考證随筆。 禅語の校證を主とし、松島瑞巌寺にまつわる逸事も記録する。 禅録に出る俗語については、黄檗僧から聞いた中国での解釈を載せることもある。 |
データベース名 | 説明 |
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興禅護国論
こうぜんごこくろん 刊記 : 建久9年 所蔵 : 正傳永源院 撰者 : 栄西 |
全三巻。禅宗が南都北嶺に旧来伝わる教えに背くものではなく、根本的には対立矛盾するものではないとして、その要点を十門にわたって述べたもの。その各門は、第一「令法久住門」、第二「鎮護国家門」、第三「世人決疑門」、第四「古徳誠証門」、第五「宗派血脈門」、第六「典拠増進門」、第七「大綱歓参門」、第八「建立支目門」、第九「大国説話門」、第十「回向発願門」となっている。 |
興禪護國論鑿竅
こうぜんごこくろんさっきょう 刊記 : 文化10年(1813) 所蔵 : 正伝永源院 撰者 : 東晙高峯 |
『興禅護国論』の注釈書として最も権威のあるもの。 編者の東晙高峯(とうしゅん・こうほう、1735-1801)は、建仁寺三三五世・両足院十三世。建仁寺開山栄西禅師・塔頭各派の史伝等の研究を始め、建仁寺の清規法式を制定する等、膨大な量の書物を刊行した。 |
夢窓國師語録
むそうこくしごろく 刊記 : 貞治4年 所蔵 : 正傳永源院 撰者 : 春屋妙葩 |
夢窓疎石(1275-1351)の高弟である春屋妙葩(1312-1388)が編集した語録。貞治四年(1365)5月22日の成立という。 |
虎穴録
こけつろく 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 悟渓宗頓 |
妙心寺派四派のひとつである東海庵の祖で岐阜瑞龍寺開山・悟渓宗頓(1415-1500)の語録。全2巻。 上巻には夢菴如玄の序(享保6年)、後土御門天皇の論旨(文明2年)、後土御門天皇より号を賜ったときの勅使(明応6年)や、大徳寺、妙心寺等の歴住の語録、示衆、法語、偈頌、道号、像賛、自賛、銘を収録している。また下巻には、仏事、行状に加え、旧刊の行状と跋、附録を収録しており、室町禅林を研究するうえで重要な資料である。 検索結果画面の「思文閣出版版p.○○○」とあるのは、芳澤勝弘編著『悟渓宗頓 虎穴録訳注』(思文閣出版、2009年)のページ数である。 |
欠伸稿 乾
かんしんこう けん 所蔵 : 龍光院 撰者 : 江月宗玩 |
江月宗玩(1574-1643)自筆本。慶長から元和年間の語を収録しているが、博多崇福寺語、後半生の語は含まれていない。分量的には、影印で刊行されている写本「孤蓬庵本」のほぼ半分だが、「孤蓬庵本」には含まれていない偈頌がかなり多く見られる。そのなかには私的なものがあり、江月の人柄を証す好資料であるばかりでなく、同時代の文化人との交流を記録しているので、寛永文化の消息をうかがう上での貴重な情報を含んでいる。 『欠伸稿 乾』には、拈香・下火、偈頌、書、加筆が収録されている。 検索結果画面の「思文閣出版版 p.○○○」とあるのは、芳澤勝弘編著『江月宗玩 欠伸稿訳注 乾』(思文閣出版、2009年)のページ数である。 |
欠伸稿 坤
かんしんこう こん 所蔵 : 龍光院 撰者 : 江月宗玩 |
江月宗玩(1574-1643)自筆本。慶長から元和年間の語を収録しいるが、博多崇福寺語、後半生の語は含まれていない。分量的には、影印で刊行されている写本「孤蓬庵本」のほぼ半分だが、「孤蓬庵本」には含まれていない偈頌がかなり多く見られる。そのなかには私的なものがあり、江月の人柄を証す好資料であるばかりでなく、同時代の文化人との交流を記録しているので、寛永文化の消息をうかがう上での貴重な情報を含んでいる。 『欠伸稿 坤』には、法語、供養、佛祖賛、畫圖賛、道號、眞賛、自賛、記・銘が収録されている。 検索結果画面の「思文閣出版版 p.○○○」とあるのは、芳澤勝弘編著『江月宗玩 欠伸稿訳注 坤』(思文閣出版、2010年)のページ数である。 |
データベース名 | 説明 |
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宗鏡録
すぎょうろく 刊記 : 建隆2年 所蔵 : 正傳永源院 撰者 : 永明延寿 |
法眼宗三世、永明延寿(904-976)の撰。建隆二年(961)に成る。「心鏡録」または「宗鑑録」ともいい、教禅一致の立場から諸宗の教義を体系化した一大仏教汎論。 標宗章、問答章、引証章の三章より成り、まず一心の体を標して「心外無法触目是道」の理を明かし、ついで問答型式によってこれに悟入する方便を示し、さらに広く教論祖釈の語を引用して論旨を証する。 はじめ、呉越王銭俶が序を付して室中に秘蔵したが、元祐年中(1086-93)に至って開板の際、楊傑がふたたび序を付したものが、やがて宋版大蔵経に入蔵し、仏教各宗および宋学に大きい影響を与えた。別に清の雍正帝の重刊本や、麗版大蔵経の補版として開版されたものがあり、紹聖三年(1096)に、黄竜派の晦堂祖心が本書を抜萃した『冥枢会要』や、明の陶奭齡の『宗鏡録具体』もあり、朝鮮で作られた『宗鏡録撮要』およびわが国で作られた『宗鏡録要義条目』その他多くの鈔本と目録がある。 |
雲門廣録
うんもんこうろく 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 柳田文庫 |
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林間録
りんかんろく 所蔵 : 正傳永源院 |
覚範慧洪が道俗の弟子のために、古来の尊宿や高行の大夫等の逸話、参禅の遺訓などについて語った三百余篇の談話を、門人の本明が筆録して一書としたもの。大観元年(1107)に、臨川の謝逸が序を付しており、書名は林間に清談せる語録の意である。 別に『新編林間後録』一巻があり、賛、序、銘等の詩文を集めているが、これは慧洪の詩文集『石門文字禅』の中から抜萃改編したもので、おそらく後人の付会であろう。 |
羅湖野録
らごやろく 所蔵 : 正伝永源院 撰者 : 暁瑩仲温 |
編者の暁瑩仲温は大慧の法嗣。紹興乙亥(1155)に自序成り、同門の無著妙摠(1095-1170)が庚辰(1160)に至って付跋している。羅湖上に菴居して、当代禅門の逸話を集録したもの。やや後れて同じ編者による『雲臥紀談』二巻の作がある。 『羅湖野録』は、明の続蔵に入蔵するが、別に『四庫提要』百四十五に四巻として著録するのは、『宝顔堂秘笈続集』の本によるもの。むしろ、宋版を覆した五山版その他に善本がある。 |
感山雲臥紀譚輯略
かんざんうんがきだん 所蔵 : 正伝永源院 撰者 : 本宗元珍 |
『感山雲臥紀譚(談)』は、大慧宗杲(1089-1163)の法嗣である仲温暁瑩(生没年不詳)が紹興年中(1131-1162)に、感山の雲臥庵に退居していた折に、見聞した逸話や修行者の拠って立つべき警語を集めたもの。その『雲臥紀譚』に本宗元珍が注釈を施したのが本書である。 しばしば版を重ねたようで、本テキストは発刊の年次は不明であるが、末尾より江戸期に京都の書肆、松月堂・小川源兵衛により刊行されたことが分かる。 |
虛堂録
きどうろく 所蔵 : 正傳永源院 撰者 : 妙源 |
南宋末の禅僧である虚堂智愚(1185-1269)の語録。参学妙源等の編集で、前録七巻に嘉興府興聖禅寺より径山万寿寺に至る十会の上堂と、法語、序跋、真讚、普説、頌古、代別、仏祖讚、偈頌等を収め、続輯三巻に後録を補遺し、咸淳五年(1269)に福州鼓山で刊行したもの。あたかも入寂の年であるが、生前のことである。 虚堂は、大応国師南浦紹明の師に当るので、語録は出版と同時に日本に伝わり、さらに宋版に漏れた作品と「行状」を合わせて覆刻される。中世日本の臨済宗でもっとも広く読まれた語録の一つで、無著の『虚堂録犁耕』三十巻は、それらの成果のすべてを集大成している。 |
禅林類聚
ぜんりんるいじゅう 刊記 : 大徳11年 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 善俊・智境・道泰 |
元の天寧万寿寺善俊、および智境、道泰らの共編。大徳11年(1307)に成る。禅宗の公案と拈頌の最も総合的な集大成の書。『五灯録』と諸家の語録中より5272則を選び、いちいち原典によって本文を刪定し、その内容によって、これを帝王、宰臣、儒士以下102門に分類し、検索の便を計ったもの。 刊本としては、春屋妙葩の臨川寺版をはじめ、五山の開版がかなりあり、わが延宝3年(1675)に卍元師蛮(1626-1710)が全篇に亘って訓点を付したものも流布する。卍元は、『延宝伝灯録』や『本朝高僧伝』なども著した臨済宗の学僧である。 |
禅林抜類聚
ぜんりんばつるいじゅう 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 |
『禅林類聚』と別に成立した四巻本であり、続蔵はこれを収める。『抜類聚』に基づいて注釈を加えたものに『撮要鈔』(一名「本則鈔」)四巻がある。 |
データベース名 | 説明 |
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五灯拔萃
ごとうばっすい 所蔵 : 大徳寺龍光院 |
『五燈會元』の注釋書である。室町期の筆冩本と思われる。録中の難解な俗語、俗諺への注は貴重なものである。もっとも多い注は、一山一寧(1247-1317)によるものだが、そのほか大休正念(佛源禪師、1215-1289)、約翁徳儉(佛燈國師、1244-1320)の注も見える。また『禪林方語』に見える注も多く引用されているが、その中には現在伝わる數種の『禪林方語』写本には収録されていないものも多くある。 注釋部分は翻刻してあるので、『五燈會元』本文のみならず、注釋部分の語からも検索できる。 原本は大徳寺龍光院所藏本である。 |
データベース名 | 説明 |
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五雑組
ござっそ 刊記 : 寛文元年(1661) 所蔵 : 花園大学国際禅学研究所 撰者 : 謝肇淛 |
明代の文人・官人である謝肇淛(1567-1624)の著。事物を天・地・人・物・事の五類に分類し、考証を加えた書。 本テキストは16巻の和刻本で、寛文元年(1661)陰暦11月刊。花園大学国際禅学研究所蔵の版本。 |
データベース名 | 説明 |
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富士山志
とみすさんし 刊記 : 寛政十年(1798) 所蔵 : 如法寺(大洲市立博物館保管) 撰者 : 兀庵素徴 |
盤珪永琢(1622-1693)の法語・語録・行業記・逸事状・年譜などを収録し、盤珪の禅風が如何に成り立っているかを知らしめる資料として重要である。 また、大洲(いまの愛媛県南西部)の富士山如法寺に関する人事・物件・文書類を収めるとともに、歴代の住持や弟子の伝記、法系譜、外護や支援をしていた居士・大姉・信徒の記録、寺殿の建設や改修についての記録まで収録する。或いは龍門寺(網干)・光林寺(江戸)・雄香寺(平戸)・寶津寺(丸亀)など、盤珪の門派寺院の記録や関連の塔銘・偈頌なども採録しており、近世禅宗史を知るうえでも非常に豊富な資料類といえる。 |
元亨釈書
げんこうしゃくしょ 刊記 : 元亨二年(1322) 所蔵 : 正傳永源院 撰者 : 虎関師錬 |
臨済宗の学僧である虎関師錬(1278-1346)が鎌倉末期の元亨2年(1322)に編纂した仏教史書である。全30巻。仏教伝来より鎌倉期までの日本仏教史を体系的にまとめた書物としては最も古い部類に属するものであり、今なお参照すべき記述が多い。 |
東海一休和尚年譜
とうかいいっきゅうおしょうねんぷ 所蔵 : 酬恩庵一休寺 撰者 : 没倫紹等 |
一休宗純(1394-1481)の年譜で、直弟子である没倫紹等(?-1492)による編。幼少期の記述が少なかったり、時系列に沿った記述となっていない(本来あるべき年次と異なる年次に記述されている)など、年譜としては不備もみられる。だが、語録のない一休の行実を伝える文書として、きわめて重要であることは確かである。 |